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ブログ「堀田清の元気が出るお話」

すずしろの花



北海道医療大学 薬用植物園・北方系生態観察園

漢方のお話

「食べることとは」〜気・食・薬〜

北海道日高地方の栄養士会に招かれて講演したときのテキストです。

T.食べるって?

 皆さん「2000年以上の日本の歴史の中で、日本の庶民がお腹一杯白いお米を食べることができるようになったのはいったい何時からなんだろう?」なんてことを考えたこと、ありますか。私が生まれたのは昭和33年。子供のころは・・「ご飯だけはお腹一杯食べることはできたけど・・・。納豆ご飯、タマゴかけご飯が大好きで、リンゴなんかは冬になる前に青森県から木箱でモミガラの中にいっぱいつまって送られてきて、お袋が忙しい中、剥いてくれたリンゴはとても美味しかった。バナナは高級品だったし、トンカツなんて1年に何度も食べることはできなかったなあ〜」って思い出します。そうなんです。日本人は長い日本の歴史の中で少なくともつい60〜70年前以前は庶民が白いご飯をお腹いっぱい食べることのできなかった民族だったんです。私の幸せはご飯と納豆(朝、昼、晩、3回食べても可です)、大根オロシ、リンゴのどれかが食べられれば、いつも幸せです。言い換えれば、私の不幸せとは、この4つが食べられなくなった時だけです。それ以外はいつも幸せなんです。何が起きても、どんなことになろうとも・・・です。現代、60〜70年前の日本に比べて今は圧倒的にモノが豊かになりました。すばらしい事です。日本の歴史始まって初めてのことです。望めばいつでも好きなものが食べることができる時代です。車だって、家だってお金させあれば何だってすぐに手に入る時代。ひょっとして幸せだって、健康だって・・。そう錯覚してしまいそうな現代。果たしてそうなのでしょうか?「心の元気」ってお金で買えるのでしょうか?

 さて、何だって手に入るモノが豊かな時代。このモノがやっかいなんです。戦後すぐまでは平たく言えばモノが無かった時代です。だから心はそれなりに豊かだったんです。豊かな「食べること」、便利な「モノ(車、洗濯機・・・)」を得るためだけに働けば良かったし、頭を使えば良かった。だから、何もなかったころに比べて毎日食べるモノ、身の回りのモノが豊かになれば感動もあったし、達成感もあった。だから生きる喜びもあったんです。だからそのように生きてきた大人、私たちの親は私たちにモノが豊かになれば、それだけで幸せだと教え込んできたんです。でも・・、果たして本当にそうなんでしょうか?日本人の庶民は過去にモノが豊かな時代は全く無かったわけですから、モノが豊かな時代の感動、満足感、達成感を伝えることのできる先人はほとんどいないはずです。私の個人的な意見ですが、生まれた時から家、車、テレビ、ステレオ、電話、トンカツ、お刺身・・・。少なくとも60年前の日本人よりははるかにモノが揃っている中に生まれて育っていかなければいけない子供たちに私たちはいったい感動、満足感、達成感とは何かをどう伝えていけばいいのでしょうか?これは本当に難しく、大変なことです。実は私たちは大変な時代に生きているのです。ステキな食べモノ、便利なモノにが当たり前の時代の私たちはよりステキな生き方をしなければならないのではないでしょうか?それは、私たちの親の世代の大人がゼロからモノが豊かにしてきた人以上に厳しいことだと思います。ひょっとしたら、地球に住む一員、地球に生かされている一生物として、地球に恩返しをするくらいの高い気持ちになって、「何をするのか」を考えなければいけないのかもしれません。

 私はこう考えます。「何故、何のために生きるのか?」を私たち大人の一人一人がそれぞれに考えなければいけない時代。そう思います。ステキなモノは誰がどこで、いつ、どのように作られ、運ばれ、私たちの口の中に入っていくのか。最低限これらのことは大人の私たちこそが知らなければならないことではないかと思います。私は、自分自身がステキになるために生きてます。ステキとは他の人と比較して思うことではなく、自分自身の生き方に自信と誇りを持って生きて、そして土に帰る。そんなふうに思っています。だから、自分で選んだステキな食べ物を毎日食べたいと思います。誰かにもらった「感謝」の気持ちはその思いを他の誰かに返してこそ、私の心の栄養になると考えています。

 さて、「食べる」こととは自分自身がどう生きたいかと全く連動しています。口から入る栄養をどう心の栄養にしていくか・・・。難しいことですが、豊かな時代に生きている私たちにしかできないことです。悪いですが、モノが豊かではなかった先人には伝えられないことです。私は大学の教員ですが、今の学生たちには私などよりもはるかにすばらしい可能性を持った学生たちがいっぱいいます。「食べる」ことを通して、日本の将来を担うステキな若者を育てていきましょう。難しいことですが、とっても大切なことです。既存の概念と向き合い、戦う勇気、これも必要かもしれませんね。

 私の専門の一つは漢方ですが、漢方薬と漢方は少し違うんです。漢方の一番大切な考え方は、私たち人類も地球の大切な一員で、私たちが大自然、地球からどう生かされているのかを知ることです。それを知らなければ漢方薬を扱うことはできません。漢方の立場からもお話したいと思います。

U.日高の食材

 祖父、菊次郎が浦河に住み着いてから私で三代目。そして私が生まれ育った町、浦河町。浦河を離れて既に30年の月日が経ってしまいました。あっと言う間に時間が過ぎてしまいました。浦河に住んでいたときには当たり前に食べていたお魚が、札幌ではとんでもないお金を払わなければ食べられない。例えば、トキシラズの切り身1枚が1,000円くらいっていうのはざらにありました。いやなによりも高いお金を払っても子供のころフツウに食べていたお魚そのものが無かったり・・・。いずれにしても、当時浦河の港で獲れた新鮮なお魚たちとは、中々お目にかかることのできない街、それが札幌です。私はこの30年間札幌でイカ刺しを食べたことがありません。やっぱり、獲りたての赤いイカ、固くてコリコリした歯ざわりのお刺身を、夏の辛い大根おろしで食べるのが最高だからです。

 ババガレイの煮付け、カジカ汁、定置もののシャケ、トキシラズ、メヌキの刺身とあら汁、手釣りのキンキの焼きたてをやはり辛い大根おろしで・・、ソイの刺身に煮付け、そうそうソイに似たガヤっていう美味しいお魚もありましたよね。日高昆布で出汁をとったネギとダイコン入りのあら汁、鱈の昆布締め、鱈のフライ、マツカワの刺身、ホッケの一夜干し、ホッケのフライ、ツブ刺し、煮ツブなどなど・・・。浦河に生まれ育った18年間は毎日当たり前のように「海の元気、旬」を一杯食べていたんです。ちなみに、私は本州に住む人が泣いて喜ぶカニ料理よりも、圧倒的にこれらのお魚料理が大好きです。

 札幌で、比較的値段が安くて、旬の美味しいお魚料理を出してくれる落ち着いた雰囲気のお店探しも一苦労でした。もう20年も前になりますが、行き着けの居酒屋でアンコウ鍋やアンコウの肝を食べさせてもらいました。なんでも関東では高級品らしいのですけれど・・・。同じようにして食べる魚なら、カジカ汁やカジカの肝、雌カジカの卵の醤油付けなどの方が、アンコウ料理とは比べようもない程ステキな食材だと思えました。そう言えば、カジカ汁なんてもう10年以上も食べてません。今では高級品なのではないですか?

 さてさて、これまで述べたように日高の浜には、旬の食材がいっぱいですね。あとはこんなにたくさんある自然の恵みをどうやって色々な人に発信し続けていくのかが、とっても大切なことです。

 日高の浜で獲れるステキで美味しい海の幸だけで、果たして日高に何回も訪れる人たち(リピーター)を増やすことができるのでしょうか。山の幸、高山植物、トレッキング、乗馬などなど自分の町で自慢できるものは全て並べ上げ、それをなんとか上手く組み合わせると、すばらしい情報となって全国に発信できるように思えるのは私だけでしょうか。

 私は浦河を離れてから本当に色々な町へ行きました。日本国内ばかりではなくアメリカ、ヨーロッパ、中南米、中国、トルコ・・・。

 今は北海道が世界で一番ステキな土地であると確信を持っています。残念ながら、北海道に住んでいながらこのことを心の底から感じている人がそう多くはないのではないでしょうか。もちろんそれぞれの国、日本のそれぞれの町にステキな所はあります。でも北海道には北海道にしかない魅力がたくさんあります。なんと言っても、北海道には人間の手がまったく入っていない大自然が、本州とは比べ物にならないくらいの規模で残されています。そのおかげで、温泉、スキー、山野草観察、トレッキング、ドライブ、家庭菜園など、何をするにしても本州に住む人に比べて手軽にお金をかけずに、盛大にかつ一挙に欲張って楽しむことができます。こんな楽しみ方は本州ではなかなか難しいことです。

 たとえば、ドライブと温泉を組み合わせてみましょう。札幌から郊外に向かって豊かな田園風景の中を小一時間もドライブすれば露天風呂とサウナ風呂つき、休憩所は時間無制限で無料、1000円でおつりが来る温泉がいくらでもあります。いわんや温泉地に住む地元の人たちは、そんな温泉を銭湯代わりに使って、毎日仕事が終わった後、みんなでワイワイ言いながら湯船に浸かって一日を終える。よくよく考えてみるとこれほど贅沢な時間と空間の使い方があるでしょうか。

 これらはすべてお金を出したからといって手に入るものではありません。人が作ったモノならばお金を出せば簡単に手に入りますが、大自然がくれる大いなる恵みはお金には変えられないものです。人間の小ささを思い出させてくれる広大な大地、長く厳しい冬、その後に来る春を待つ心、つかの間のさわやかな夏の季節、新鮮な海や山の食材とその旬を感じる心。これらをいつも肌で感じながら生きていることは、とても幸せなことです。お金を出せば一週間なり一ヶ月なり旅行に来てそれを感じることはできるでしょうが、私たちはここに住んでいるのです。私たち北海道人はそれらの価値を再認識して、「北海道はこんなにステキなんだ!」と全国に発信しましょう。北海道の再生と未来のためには、先ず私たちが北海道のステキな大自然から四季おりおりの「気(生命エネルギー)」をもらいながら、心も身体も健康で前向きに人生を進むことが大切なことです。

 日高は私の生まれ故郷です。私はここで18歳まで過ごしました。日高地方にはすばらしいアイテムがいっぱいあると思っています。しかし、それらは、札幌に30年間過ごして比較することができるから分かることなのかもしれません。だからこそ今、日高地方に住んでいらっしゃる方に、私からお伝えしたいことはたくさんあります。

V 薬とは・・・(目、耳、鼻、口、肌から取り入れる元気)

 先ずは漢方の最も基本的なお話をさせていただきます。人は口(食べ物)と鼻(大気)から大地に流れる生命エネルギー(気、元気)を取り入れ、それを全身にまわす事により生命活動を行っているというのが、漢方の最も基本的な考え方です。その生命エネルギーを全身に回してくれるのが五臓、すなわち肝(肝臓)、心(心臓)、脾(胃腸)、肺、腎(腎臓)の5つです。五臓はお互いに創生、相克の関係で影響し合っています。例えば、創生の関係で言えば、肝がスムーズに働くと心もスムーズにさらに脾も・・・。逆に肝が痛むと心働きが悪くなりやがて脾も・・・。5つの臓器すべてにきちんと「気」が満ちていて、循環していることが健康を維持することにつながるということです(下図参照)。

 ではこの5つの臓器を元気にするためには・・・どうすれば良いかということになりますが、最も重要なことは毎日、五感で大地に流れる生命エネルギーを取り入れるということです。漢方では大地に流れる生命エネルギーのことを「気」といい、本来目には見ることのできないものとされています。今回はこの「気」をどうやって自分の身体中に取り入れたら良いのかについてお話させていただきます。

 先ず毎日欠かすことのできない口から取り入れる「気」について。食べ物も大地に流れる生命エネルギーの集合体と考えます。だから、「食べる」ということは口から「気」を取り入れるということになります。食べ物は五味(酸、苦、甘、辛、鹹)に分けられ、酸は肝、苦は心、甘は脾、辛は肺、鹹は腎の「気」を補います(下図参照)。

 ただし、あくまでも偏った摂取はいけません。どこかの臓器が突出して「気」をとり過ぎると、他の臓器を痛めることになります。先に述べた魚介類、海草類などの「浜の元気=海の幸」はとってもステキな大自然の贈り物なのですが、下図の□で囲んでいる部分に示してあるように、五味でいうと、「鹹」(シンと呼びます、塩辛いという意味です)と「甘」に分類されるものがほとんどです。ですから、「浜の元気=海の幸」を摂取し過ぎると、「腎」と「脾」に過剰な「気」が注がれることになり、かえって五臓の働きが悪くなってしまいます。漁師町に多い病気は痛風と高血圧ですが、これはこの漢方の理論で説明がつきます。

五臓・五味
 

 ところで、都会に生きている私たちにとって、「旬」、「浜の元気」、「山の元気」というのはついつい忘れがちになっています。それは「便利」という名のもとに、いつもどこかマーケットやデパートに行けば、当たり前のようにお金を出して手に入れることができる社会を作り上げてしまったからです。だから、漁師さん、農家の皆さん、鮮魚や野菜を運んでくれる人たちのことがだんだんと人々の頭の中から薄れていくのです。このことはとても怖いことです。だって、魚介類に限らず、私たちの口から入る全ての食材には大自然からの「気」だけではなく、命がけで獲って下さる漁師さん、愛情かけて育ててくれた農家の皆さん、それを熱い気持ちで都会に運んでくれている人たちの「気」が練り合わさっているはずですから。全てを知った上で口に入れるならば、そこにはいつも「感動」と「感謝」の気持ちが自然に湧き上がってくるはずです。食材の栄養成分もさることながら、この「感動」と「感謝」の気持ちこそが、心をいつも元気にしてくれる最も大切な「心のくすり」になるのです。

 日高の浜には大自然がくれたステキな食材がいっぱいです。浜にある元気だけではなく、日高の山にある元気、そこに住む人たちの住んでいる町に対する愛情・・・、色々な元気を足し算して発信していけばきっと都会から多くの人たちが「心のくすり」を求めてやってくることになるのではないでしょうか。

 もう一つだけ。人間の5つの感情、「怒、喜、思(思い悩む)、悲、驚」これも五臓に影響を及ぼします(上図参照)。どの感情も無くてはならないものです。子供の頃、私たちはこれら5つの感情をすべて、毎日、まんべんなく感じていました。笑って、泣いて、怒って、驚いて、悩んで・・・。また、昔は親が好き嫌い無いように色々考えて食事を作ってましたね。だから五味もきちんと五臓に入って・・。だから子供は元気なのです。大人になっていくにしたがって、5つの感情の1つだけが突出しはじめます。褒めてくれる人はだんだんと少なくなり、「喜」が減っていきます。さらに一生懸命生きれば生きるほど思い悩んだり、怒ったり、悲しんだり、それも1日中。なんてこともあるはずです。食生活も乱れていきます。そして・・・。

 物が豊かな時代に生きる私たちにとって、今一番必要なキーワードは「心のくすり」。これはお金を出しても買うことはたぶんできません。「浜の元気」は「心のくすり」になり得ると私は考えています。

 これまでに述べてきた中にたくさん「くすり」という言葉を出してきました。そこで、2004年5月に小学館から出版された日本国語大辞典第2版(1冊1400ページで全13巻からなる国語辞典です。)で薬という言葉を調べてみると以下の4つが薬として定義されています。

1. 人の肉体や健康、生命などについて霊妙な働きをするもの。
2. 病気や傷を治療したり、健康や生命の保持、増進に役立てたりするために、服用、注射、または塗布するもの。
3. (医薬品や薬草などとされないもので)健康の保持、増進や傷病の治療などに効果があるもの、または行為。からだのためになるものごと。
4. 人間の、まちがった、適切でない行為や性向などを改めるのに効果のある物事。精神的にためになること。
          (日本国語大辞典,小学館, p858より抜粋)

 現代に生きている私たちが<薬>というのは、なんとなく2番目だけの意味として理解されているのではないでしょうか?

 健康を維持するためにはお医者様からいただく、いわゆる薬だけに頼っていてはままならないはずですし、皆さんも、薄々、あるいは真面目に感じ始めているのではないでしょうか。

 私の専門の一つに薬用植物学がありますが、何も薬草、漢方薬としての生薬だけを教える学問ではないのです。例えば「生姜(しょうが)」。これは薬ですか?食べ物ですかと尋ねたら皆さんは何と答えますか?

 答えは・・・両方です。薬でもあるし食べ物でもあります。そうやって色々な食べ物、特に野菜、果物を考えてみましょう。

 目、耳、鼻、口、肌、いわゆる五感を使って大地に流れる生命エネルギー『気』を取り入れることが、心を元気にし、さらには体を健康にするというのが中国4000年の歴史を持つ漢方最大で基本的な考え方であることは先に述べた通りです。したがって、五感を通じて感じる色々な感動、ステキな驚きはすべて心のくすりになるはずです。

 漢方でいうところの感動とは、人から与えられる受動的なものではなく、自らが考え行動した結果、自分で獲得する能動的なものをいいます。自分で判断し、自分で行動し、自分でその責任を負う。人のせいにはしない。これが今、日本人に最も必要な栄養かもしれませんね。

 『ホッとする』というのは『気』が抜けることをさします。『気』がぬけるということは一番大切な生命エネルギーが減ることと同じことなんです。だから『ホッとした』分、減ったエネルギーを何かで補充しなければいけないんです。補充するもの、それが感動ではないかと思います。『勇気と元気は使えば使うほど増える』って皆さんご存知ですか?自分で考え、決めて、新たなことにとりくもうとする時、勇気、元気が必要なんです。その事を成し遂げた時に大いなる感動につつまれるのです。そして、次に向かう勇気と元気が湧いてくるのではないでしょうか?その素材は私たちの身近なところにあるはずです。

W.当別町近郊の元気な人たちの紹介

私の職場のある当別町周辺は、ほとんど人家の密集しているところではないのですが、自分の仕事にこだわり、信念を持ち、愛情をそそいでいる方たちがたくさんいらっしゃいます。それらを紹介させていただきます。

1.ノルトエッセン : 当別町金沢というところで、天然酵母にこだわり、固いパンを作っているパン屋さん。札幌はおろか、東京、大阪、福岡のデパートに出品している。
2.造り家 : つい最近まで新篠津村で白菜、お米を作っていた農家。何か付加価値があって、健康に良いものをと考え、韓国にまで行って勉強し、ついには畑のど真ん中で商いをしているというキムチ屋さん。たびたびテレビ(どさんこワイドなど)や新聞紙上にも登場する。
3.野口農園 : 当別町中小屋で、こだわりの野菜、お米、苺、スイカを生産している。決して安くは無いのに、札幌、小樽方面からわざわざここまで買い求めに来る固定客が多数いる。
4.小原ファーム : 新篠津村にある環境循環型の農家。有機農法で産業廃棄物を出さずに農家を営んでいる。
5.タップの湯 : 新篠津村にある田んぼのど真ん中にある温泉。ここは本当にアクセスの悪い所に位置しているにもかかわらず、いつも3ケ月先の週末まで満席状態。新篠津村にある山の幸に加え、鮑(あわび)、河豚(ふぐ)、鯵(あじ)、甘エビなどの新鮮な海の幸がいつも生け簀に泳いでいる。さらには白老牛を使った料理、手打ち蕎麦など料理長のこだわりメニュー満載な上、接客は地元の人を雇用して、都会のレストランとは一味違う心のこもったもてなし。値段は1泊8500円くらいから。季節ごとのお得な限定宿泊プランなども用意されている。

 私は、東京や大阪から来たお客さんを必ずお連れしますが、皆感動してくれます。