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ブログ「堀田清の元気が出るお話」

すずしろの花



北海道医療大学 薬用植物園・北方系生態観察園

漢方のお話

「心の元気度」と「体の健康度」

 長い冬が終わりをつげ、残雪が残る春の日差しが心地よく感じられる森の中。ピカピカに輝いているカタクリの花一輪を見つけ、木の切り株に腰をおとして、「今年も身近な所で感動に出会えて幸せだなあ」と思った時にふと頭の中をよぎった素朴な疑問。「2000年以上の日本の歴史の中で、日本の庶民がお腹一杯白いお米を食べることができるようになったのはいったい何時からなんだろう?」と・・。森の中を歩き回り、心地良い汗をかいたせいで軽い空腹感を感じたせいかしら・・。太平洋戦争中は・・「違う」。戦後すぐは・・「違う」。私が生まれたのは昭和33年。子供のころは・・「ご飯だけはお腹一杯食べることはできたけど・・バナナは高級品だったし、トンカツなんて1年に何度も食べることはできなかったなあ〜」。私はトンカツが大好きで家の畑で育てたキャベツを使ったみずみずしい千切りキャベツの上にのった大きなトンカツにウスターソースをかけて食べる時、至福の幸せを感じ、私の周りの全ての人たちに感謝していたあの頃・・。そう、「長い日本の歴史の中で少なくともつい60〜70年前以前は庶民が白いご飯をお腹いっぱい食べることのできなかった民族なんだなあ」と気がついた時、森の中でステキな一輪のカタクリに感動している自分が心の底から幸せでステキだなあと思う。森を渡ってくる風の音、木々たちがぶつかり合う音以外に人工的な音は何一つ聞こえない森の中。圧倒的な生命の息吹、勢いを感じる森の中。身体全体に大地に流れる大いなる生命エネルギーが私の身体の中にしみ込んで来るのが分かる。これが、漢方でいうところの生命エネルギーの源、「気」といいうものなのかと思う。「私は大地から元気をいただいている。私の心は元気だ」強く思った。そこに自分の周りにいる全ての人、全てのモノに感謝しながら、明日からも前向きに生きていこうと思う自分を見つけた。 

 今、オフィスにある机の上でこの原稿を書いている。どうやら数日前の森の中での出来事に心がトリップしていたようだ。現代、60~70年前の日本に比べて今は圧倒的にモノが豊かになった。すばらしい事だ。望めばいつでも好きなものが食べることができる時代だ。車だって、カメラだってお金させあれば何だってすぐに手に入る時代。ひょっとして幸せだって、健康だって・・。そう錯覚してしまいそうな現代。果たしてそうなのだろうか?「心の元気」ってお金で買えるのか?「身体の健康」は色々な検査値などでチェックできるからひょっとするとお金でなんとかなるかもしれない。心が元気でなければ、身体が元気であるはずがない。それは漢方では当たり前のことだ。じゃ「心の元気度」って何?漢方のいうところの「気」が満ちた状態って・・何?私はこう思う。毎日生活している空間の中でいくつ感動できるかではないかと・・。自分の目の前のことに感動、感謝できなくて心が元気であるわけがない。そう思う。自分の身近なところで感動の数が多ければ多いほどその人の心は「気」で満たされ「元気」なんだと思う。