ONE TEAM, ONE DREAM. COLUMN みんなのコラム

COLUMN
vol. 52

追想→未来創造

和田 啓爾 さん

教員
(50周年記念事業企画委員長、副学長、名誉教授)

50周年記念事業企画委員長を務めました和田でございます。
本事業においては、記念誌の製作、コラム等のご寄稿、記念講演会など大変多くの方々にお世話になり、心より御礼申し上げます。
私は1982年に薬学部に助手として着任してから、今年で43年目。本学教職員の中でも最長老の一人になってしまいました。思い出が多すぎて、大河ドラマ並みのスペースが必要なので、思いつくことを簡潔に列挙しました。(43年分のやや長文)
助手・講師時代(1982-1993):学生さんへの国家試験対策と実験研究に没頭、夏はゼミで道内各地へキャンプや離島回り。冬は二泊三日程度で、スキー合宿。楽しかった思い出たくさん。米国テキサスA&M大学ポスドク生活。田舎町での米国の古き良き時代のゆったりした生活を楽しみました。
准教授時代(1993-2000):講義、出前講義、国家試験対策及び研究業績を向上させるため、外部との共同研究。多数の大学・企業の人との出会いがあり視野が広がり、共同研究のダイナミックさを経験しました。
教授・副学長時代(2000-現在):就任二年目より定年まで薬学部執行部で学部運営に奔走(6年制教育体制の構築等)。志願者増の目的で地方行脚。レンタカーで東北地方を回りました。
記憶に残る大学関連行事:国道275号線沿線&石狩浜ごみ拾い、教職員のスポーツ大会、事務の方と合同の宿泊懇親会、大学祭での講座単位の出店や研究発表会。
記憶に残る当別駅:旧当別駅(跨線橋がなく、1番ホームから線路に降りる階段があり、線路を越えて2・3番ホームへ移動)は1階建て(木造?)で、面積が狭いため、冬季に帰りの汽車(電車ではなかった)を待つ間、厳寒の中、外で雪だるまのようになって並んでいた。駅周辺には居酒屋などがあり、汽車を待っている間に酒盛りをして、発車時刻に間に合わないことがあった。
記憶に残る札沼線(現学園都市線):車両は禁煙でなかったため、車内がたばこの煙でかすんでおり、衣服はにおいが染みついた。朝の大学着の汽車が遅いため、授業開始時間は9時半だった。停車駅は桑園、新琴似、篠路、東篠路(現拓北駅)、釜谷臼(かまやうす:現あいの里公園)、石狩太美、当別、大学前、・・・と少なく、全線単線のため、ほとんどの駅で、すれ違う汽車の待ち合わせをした。冬期間、各駅に停車後積雪で発車できなくなり、一度バックしてから反動をつけて発車した。(動けなくなると休校になるので、動き出すと学生さんのため息が流れた。)
記憶に残る学事・研究業務:着任時、インターネットはおろかパソコンもなかった。ほとんどの書類・試験問題は手書き。印刷は謄写版またはいわゆる輪転機。学内連絡は電話かビラの回覧。携帯電話やスマホもなく、冬期の列車遅延による出勤遅れの電話も、長蛇の列の公衆電話待ち。外国雑誌の論文投稿は、エアーメールで投稿後、返事が来るのが約1か月後。修正し受理された返事が来るのも約1か月後。のんきな時代だった。そんな時代から急速な社会の変化に伴い、大学の学事・研究・地域連携も変化し、今に至る。本学はそのような時代を乗り越え、新しい創造空間で飛躍しようとしている。今後が楽しみだ。

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