COLUMN
vol. 11
来年は医療大病院設立
35周年になる-初代院長として-
井出 肇 さん
教員
(名誉教授、初代医科歯科クリニック院長、
初代医療科学センター長)
1987年頃だと思うが、私が北大医学部温泉研究施設助教授の時、北大名誉教授(薬理学)で医療大理事の田邊恒義先生から医療大に医科系の学部を作りたい。先ずは診療所からスタートさせたいので、医師を派遣してほしいと第一内科教授の川上先生に申し出があった。私は川上先生から医療大に行ってみないかという打診を受け、川上人事に従う意を示した。その返事を受けて、医療大理事の田多氏と土産田氏が登別まで何度か尋ねてくれて、様々な事情と将来構想を説明してくれた。私は1988年から文部省の長期在外研究員としてアポC3の発見者バージル・ブラウン教授の下、ワシントンDCで研究生活を過ごし1989年に帰国した。帰国と同時に医療大との交渉が始まった。
1990年4月にはあいの里に医療大附属看護師専門学校が開設される予定になっていて、その一角に診療所を作るという案があったが、私はそれを拒否して、19床の病室はすべて冷暖房とバス・トイレ付きの個室で、ガラス張りのナース・ステーションを要求し、スタート時の診療科は内科、小児科、整形外科および歯科で行うことを決めた。出来れば病院にしたかったが、地域毎にベッド数が規制されており、新たな病院は許可されない時代になっていた。検査室は実験室にも使えるように広く取った。地下にはロッカー室、シャワー室および厨房、そして緊急の時の為に、隣の看護師専門学校のビルと結ぶ地下道を作った。1階が医科系診察室、レントゲン室、CT室、検査室、薬局と事務室からなり、2階が歯科診療室、3階が病床室、当直医室、院長室、看護部長室およびナース・ステーション、4階に母体コンピューター室と非常用発電機室が設置された。外来診察室、薬局、レントゲン室、検査室、事務所とナース・ステーションにはコンピューター端末を置き、X線を含む検査オーダー、検査成績、受診予約、処方箋などが入力あるいはデーターの保存などの仕事をした。看護部長には近藤ハツエさん、内科医はアメリカから帰国したばかりの秋田久美先生が医局から派遣され講師とて赴任した。歯科は田中収先生が教授として赴任され、歯学部各科から歯科医が派遣された。看護師が少ない時代だったが、有能な看護師が集まってくれた。
クリニックは1990年10月1日に開院した。あいの里の人口はまだ5千人で、バブル経済の悪化で人口の伸びが少なかった。あいの里に引っ越しされた方々は若い人が多く、新築住宅に住まれたので借金もしていたと思われた。子供が多く、小児科は忙しい毎日であった。次第に当別町からの受診者が多くなり、内科と整形外科も忙しくなった。私自身は看護師専門学校の講義、1996年からは大学院薬学研究科病態生理学の初代教授として、院生の教育と、その後開設された看護学部の講義などで、厳しく多忙な日々を送った。自分ながら、よく働いたと思っている。定年後を含めて27年間、医療大病院で働いた。