![]()
情報第2号さすらいのマック野郎?(最終更新1999.2.22)
情報第2号:さすらいのマック野郎???(おまけ情報付)
Mac党の私は自分自身を”さすらいのマック野郎”と呼ぶ。1)Macとの衝撃の出会い
1986年、当時私はアメリカのテキサス州TEXAS A&M University(テキサスA&M大学)の化学で博士研究員としてビタミンB12の生合成についての研究をA.I.Scot教授の研究室で行っていた。ある日、同僚達(研究員)が”マック、マック”と騒いでいるので、てっきりハンバ−ガ−のことと思っていたら、秘書がいなくなって空き部屋になっていた場所に、Macintoshが導入されたのだった。
当時、アメリカに行くまで、私はBASICをかじっていた程度(一応、マイクロコンピュ−タ利用者試験の3級はゲットしていたが)で、富士通のFM7(今でも名機と思っている)を使い、雑誌のプログラムを手作業で入力しては多少の手直しをして使っていたので、それこそ、ビタミンB12の構造式(興味ある人は調べてみてください。)なんぞはとてもパソコンで描くという気も起こらなかった。
ところがである、いとも簡単にマウスというツ−ルを使って、複雑な構造式を描き上げてしまったのである。この衝撃はあまりにも私にとってショッキングであった。マックというのは一体なんてことをしてくれるんだ!これがMacとの出会いだった。
私にとっては”パソコンの革命”と思われた。そして私はマック党に入党したのだった?
2)Macとの再会
アメリカでの研究生活を終え、帰国後、研究室ではデ−タ処理のため、利用できるソフトの関係上、いわゆるあの一世を風靡したPC9800シリ−ズを導入した。しかし、アメリカでの衝撃が忘れられず、結局、約50万円をはたいてMacintosh Plusと40MBのハ−ドディスク、スタイルライタ−(これだけはあまり気に入らなかった)を買った。ちょうど相前後して、当時アメリカから帰国された先生の宣伝効果もあり、学部でMac IIとPSレ−ザ−プリンタが導入され、論文作成や学会発表のスライド作成はみなこれを利用していた。3)その後のMacとのつきあい
その後、私のマックはMacintosh LC520-->Performa 575-->Power Mac8600/250へと推移した。その間、研究室や機器室にLC475、Power Mac6100、Power Macintosh G3など、次々と導入された。世の中はWindows一色になり、Appleの危機が騒がれたころもやはり、マック党を貫いている。(LC520とPerforma575は今でも使ってます。)4)Macの将来
今(1999.2.22)、iMacブ−ムでMacユ−ザ−は増加している。しかし、ブ−ムというのは永遠に続くものではない。今増え続けているMacユ−ザ−をいつまでもMacユ−ザ−として、また彼らがMacのよさを普及させる原動力にさせるためには、やはり、ソフトウェアの充実、周辺機器のラインアップ、サポ−トのきめ細かさなどが重要だ。そして何より、従来のMac党のわれわれをいつまでも”その気”にさせておいて欲しいのだ。1999年2月18日、来日中のスティーブ・ジョブス氏(米:Appleの暫定CEO)は「米国、日本の消費者向けパソコン市場で一段のシェア拡大をめざし、家電製品とパソコンとの接続もにらんだ商品戦略も本格展開する、アップルはソニーのような企業を目指す。」と語った。*ちょっとお得なメモ(おまけ):
Mac OS8.5から導入された"Sherlock"に関するAppleの情報サイトです。
・"Sherlock"に関するホ−ム:http://www.apple.co.jp/sherlock/index.html
・"Sherlock"の概要:http://www.apple.co.jp/sherlock/overview.html
・"Sherlock"の検索方法:http://www.apple.co.jp/sherlock/search.html
・"Sherlock"のプラグイン:http://www.apple.co.jp/sherlock/plugins.html
バックナンバ−(No.1,3,4,5) / おまけのペ−ジトップへ戻る / 一般の人向けのトップへ戻る