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§5-2 ビルケナウ強制収容所 (Birkenau)


6/28/2003 午後2時 @アウシュビッツ→ビルケナウ

アウシュビッツの近くのビルケナウと呼ばれるところには,第二の強制収容所があります(ビルケナウ@yahoo).このアウシュビッツでせいもこんも尽き果てて,帰宅される方もいらっしゃるのですが,今回はビルケナウ強制収容所へも向かうこととしました.アウシュビッツ博物館[01]からからビルケナウの第二収容所までは1時間おき(毎時刻の30分,13:30とか)にシャトルバスが出ています[02](数十年前当時の人の誰がシャトルバスの存在を予測したか・・・).

 
[01]博物館出口 [02]バス

シャトルバスは,当時の引込み線を横目[03]に,数分でビルケナウ[04]へと到着しました.

 
[03]引込み線 [04]ビルケナウ停留所

ビルケナウに到着[05]すると,すぐに目に入るのが,広大な区画[06]を囲う有刺鉄線[07]です.

   
[05]到着 [06]広大な [07]有刺鉄線

ここ第二収容所は,博物館化されている第一収容所とは大きく異なり,当時のままの姿が公開されています.【動画5M】収容所の入り口となる死の門[08]をくぐり,収容所内に入ると,まず目に入るのが,引込み線[09].そして,引込み線を中心として左右に広大な区画が広がり,そして,升目状の歩道が作られていました[10].

   
[08]死の門 [09]引込み線 [10]歩道

しかし,広い[11]とはいえ,同時に10万人が収容されていたことを考えると,決して,広々というものではありません.むしろ,どう考えても,10万人が超過密に詰め込まれたという感じがします.これらの人々は,敷地内の区画[12]に建てられたバラック[13]に居住していたとのことです.【動画 2.3M

   
[11]広いが [12]区画 [13]バラック

バラックも当時のまま保存されており[13],博物館に展示されていたベッドなども現実に見ることができました.ベッドは3段式で,1つの段[14]の中では身を起こすこともできません.ちなみに,この1つのベットの中に3,4人の方が寝ていたとのことで...また,あるバラックの壁には,当時の収容されていた人が書いた絵[15]も,そのまま残っていました.

   
[13]バラック内部 [14]身も起こせない [15]絵

更に,収容所内をとぼとぼと歩いていき,収容所の端に着きました.そこには,歩道もない草っぱらの中に,幾つかのバラックが建てられており[16],その中にも入ってみると,そこが,集団洗面所(トイレ)であることがわかりました.そこには,穴だけが・・・[17,18],当時の憔悴しきった収容者のかたがたの中には,体を支えきれずに穴の中に落ちてしまわれる方もいらしたとのコメントがガイドブックに書かれていました.

   
[16]奥のバラック [17]部屋の全景 [18]

そして,収容所の一番奥にはガス室があったのですが,ガス室は当時証拠隠滅のために破壊されており[19-21],今は,瓦礫の山が築かれているだけとなっています.しかしながら,その瓦礫の区画の大きさはアウシュビッツのそれを上回る規模のガス室が当時あったことを示しています.

   
[19]破壊された [20]ガス室の [21]瓦礫

ガス室を背にすると,引込み線[22]の果てに死の門があるのですが[23],広大な敷地をまた,とぼとぼと歩き,死の門へと戻りました[24].

   
[22]引込み線 [23]見取り図 [24]戻ります

死の門の2階部分には展望所[25]があり,最後に展望所にのぼり,しばし,収容所の全貌を眺めておりました[26].

 
[25]展望所 [26]からの眺め

帰ります[27].そのため,博物館行きのシャトルバスに乗って一度博物館へ向かいました.なお,博物館行きのバスは,毎時刻(たとえば17:00)に発車します.

[27]帰ります

博物館からは,再び,オシフィエンチム駅行きのバスに乗ります.バス乗り場は,博物館を出て[28]すぐにの所[29]にあり,また,バスは20から30分程度おき[30]に出ていますが,列車の乗り継ぎを考えている方はちょっと余裕を見たほうがいいです.でも,いざとなれば,20分程で歩いて駅へいけると思います.

   
[28]博物館を出て [29]すぐ

程なくしてバスが来て,バスへ乗り込んだのですが,バスはほぼ満員状態で立錐の余地もないという感じでした.しばらく我慢して乗っていると,数分でオシフィエンチム駅へと着いたのですが,戸が開いた途端に私たちはドッと外に押し出されて,次の瞬間,バスは戸を閉めて発車してしまいました.博物館へ来たときと同様に,どうしても運賃を払うことができません・・・[31]

[31]無賃

オシフィエンチム駅に着くことができたので,それではクラクフ駅に戻りましょうということで,窓口でクラクフ駅行きのチケットを購入しました.列車は30分ほどで発車するとのコトで,しばらく待合室で待っていると,窓口の人が何か叫んでいます.いったいなんだろうと思い,話を聴くと,どうやら,今日は休日なので,今買ったチケットの列車は運行されないとのコトです.更に,クラクフ行きの列車の発車は2時間後とのことでした.でも,クラクフPlaszow駅行きの列車であればすぐに出発するということも,教えてくれました.クラクフPlaszow駅からは,列車を乗り継ぐことでクラクフ駅(中央駅)へいけるとのコトです.少々悩んだのですが,今から2時間待ってしまうと,クラクフに着くのは日没後となってしまうので,やはり,日の明るいうちにクラクフへ着くことを最優先として,クラクフPlaszow行きの列車へ乗ることにしました.列車[32]はすでにフォームに入っています.急いで乗ります[33].

 
[32]すでにフォームに [33]乗ります

無計画に乗り換えルートを選んでしまい,一抹の不安の中,列車はコトコトと走り続けました[34-36].途中,車掌さんがやってきて,「クラクフへ行きたいんです」と訴えかけたら,ちょっと待って,と駅員さんが時刻表を持ってきてくれました.ポーランド語の時刻表だったのでよくわからない部分もありましたが,どうやら,クラクフPlaszow駅についた数分後にクラクフ駅行きの列車が発車するので,それに乗れば良いようです.

   
[34]列車は走ります [35]踏み切り [36]列車

クラクPlaszow駅到着[37].すると,向かいのフォームに列車が止まっていました.線路の上を歩いて[38],向かいのフォームへ行くと[39],列車の窓から車掌さんが首を出していたので,「クラクフに行きたい」と訴えかけたら,乗りなよ,との快い返事.

   
[37]到着 [38]線路を渡って [39]こっちのフォーム

列車は程なくして出発し,数分乗っていると,クラクフ駅がすぐに見えてきました.よかった.もう夜の7時を回っています.かなり心身ともに憔悴しきっていたので,もう,今日の夕食は泊まっているホテルのbar(朝食を食べたところ)で手軽に済ませてしまおうと思い,barへと行って適当にポーランド料理を注文しました.ところが,これが,予想以上に大変おいしかったのです.しかも,十分に飲食して,58zl.このホテル,格安ホテルなのに(ホテルの人すいません),料理が非常にすばらしかったです.(期待していなかったので,夕食時にカメラを持って行きませんでした.無念.)ちなみに,泊まった部屋には,一応,トイレと簡易シャワーが付いているのですが,そうでない部屋もあるので,集合トイレと集合シャワー室があります.
 


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