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§5-1 アウシュビッツ強制収容所(Auschwitz, オシフィエンチム)


6/28/2003 午前8時 @ホテル

7時起床.昨日の晩はあれほどの騒音があったにもかかわらず,今朝は驚くほど静かで,更に,空には雲ひとつ無く小鳥のさえずりが聞こえる完璧な朝です.朝食は,昨日あれほど騒がしかった(しつこい)ホテルのバー(BAR)でいただきました.バーの座席はホテルの内部と外部とに配置されていたのですが,天気に浮かれて外のテラスの席[01]に座りました.お食事では,小鳥とちょっと攻撃的な鳩ともに,ゆったりとパンとコーヒーと玉子焼きを食べました.という感じで,エコノミーなホテルの割には,カナリ優雅な気分[02]に浸れてお得度満点でした.
 
 
[01]テラス [02]エコノミーな割には優雅

さて,なぜ,今クラクフにいるのか?,つまり,会議の発表はワルシャワでおこなわれるので,クラクフに来る仕事上の必要性は無かったのですが,せっかく10時間以上も飛行機に乗ってやってくるので(注:当時は有給休暇+私費で渡航していました),世界遺産にも指定されているクラクフにも(クラクフ@yahoo)足を伸ばしてみようと思い,今クラクフにいるわけです.でも,クラクフにいる理由はもう1つあって,それがアウシュビッツです.アウシュビッツ強制収容所の歴史(アウシュビッツ@yahoo)については,ここで改めてご説明することも無いかと思いますが,位置的にはクラクフから列車(鈍行)で1時間ほど西へ向かったところにあります[03].予定では,今日は,クラクフ市内を見学するつもりだったのですが,天気が非常に良いので,急遽,アウシュビッツへ行くことにしました.どう考えても,旅程の決定方法がいい加減なのですが,取り敢えずホテルを出て,出たとこ勝負でクラクフ中央駅へ向かいました.ホテルからクラクフ駅までは歩いて数分[04, 05].クラクフ駅の列車ダイヤ表も,あらかじめインターネットで調べておいたので,出発時刻10:06に合わせてホテルを出ました.(ちなみに,ポーランド全土の列車時刻表はこちらですべて参照できるので,すごい便利です).

   
[03]アウシュビッツの位置 [04]ホテルから [05]クラクフ駅まで数分

クラクフ駅到着後,アウシュビッツまでのチケットを購入[06]して(片道12zl)フォームへと向かいます.ちなみに,チケット売り場の窓口の人にO[s]wi[e]ncim,([s]の頭にはダッシュ,[e]の下には髭がつきます)と書いた紙を渡せば,チケットを買うことができます.チケットも購入して,そそくさとクラクフ中央駅の内部へと入っていきました.どたばたと慌てていた昨日は気づかなかったのですが,クラクフ中央駅はカナリ大きくフォームもたくさんありました[07 08].これから乗車する列車(鈍行)はココからの始発となるので,さすがに定刻どおりにやってきました.また,昨日見た,やたらとオリジナルなペインティングがされている鈍行と異なり,今日の鈍行は正規の塗装しかされていない列車だったので,ちょっと安心です【動画1.9M(←音がうるさいかも)】.

   
[06]チケット購入 [07]フォーム [08]がたくさん

6/28/2003 午前10時 @車内

列車到着後すぐに乗り込みました.座席は自由席ですが,乗車率は30%程度だったのでゆったりと座れました[09].座席に座ってまもなく,列車は定刻通りに中央駅を出発(おおぉっ).鈍行といえどもかなりのスピードで走っていますが,これが,ゆれるゆれる.列車に乗ってからずっと,この文章を打っているのですが,ディスプレイが揺れまくって,キーボードを打ちにくい(周期1秒程度で,体を前後左右に各々10cm程振動させると実感できます).ちょっと,よってきた感じもしたのですが,心地よい風が,ス〜す〜と吹いていて気分が良い,でも,ちょっと,待ってください.たまに,ご〜ぐぅぉ〜という感じになって,おっかしいと思ったら,案の定,この電車はドアを開けっ放しで走り抜いているようです【動画1.5M】.大開放政策[10].閉めて・・・

 
[09]ゆったり [10]開放中

心地よい風の中,天気も快晴[11, 12]で,車窓も牧歌的で心和むものではあるのですが,これらか向かう場所のことを思うに辺り,微妙に気持ちのトーンが変わってきます:つまり,何の言われなもないのに,数十年前に百万人以上の方がこの路線を走る列車[13]に強制的に乗せられた事実を思うと,はたして,これらの人が今と同じ景色を見て何を考えたのかと,考えざるを得ません.こんなことをつらつらと考える上でも,アウシュビッツへ行くには,列車でじっくりと向かうのがお勧めかと思われます.

   
[11]快晴 [12]快晴 [13]列車

6/28/2003 午前11時 @オシフィエンチム駅

程なくして,列車はオシフィエンチム駅[14]に着きました.駅にはフォームがたくさんあるのですが[15],なんとも閑散とした感じをかもし出していました.ちなみに,フォームから駅構内に入るためには,てくてくと線路の上を歩く必要があるのですが,踏み切りの無い場所で,これだけ堂々と線路の上を歩くのは生まれて初めてです.(ちょっとデンジャラス[16])

   
[14]オシフィエンチム駅 [15]フォームがたくさん [16]ちょっと・・・

線路を渡り終わって駅[17]構内に入りましたが,ちょいと寂れた感じのインターネットカフェを2階に構えた待合室[18]がそこにはありました.また,待合室には,列車の時刻表[19]が張ってあり,帰りのクラクフ行きの列車の便も表示されていました.今は,午前11時頃なので,帰りは18:41,19:07,こんな感じでしょうか(@時刻表の拡大図はこちら@).21:40はちょっと遅いので,少なくともその前の便には乗りたいです(後で,これがチョットだけ大変なことになります)

   
[17]駅の前 [18]待合室 [19]時刻表

さて,アウシュビッツの強制収容所は現在MUSEUM(博物館)として保存されおり,この駅からバスで数分,歩いても20分ほどの距離に位置しています.観光客の中にはひたすら歩くことを決意している人もいるようで,みなさん,博物館へ向かって足を進めています.私としては,今日一日中歩くことを考えて,今は無理せずバスで行こうということにしました.バスは駅の出口のまん前にあるバス乗り場[20]から乗れるようなのですが,バスには幾つかの路線があるようです[21].(こちらの拡大写真には路線名が載っています).どれに乗るのかなと思って,ウロチョロしていると,「MUSEUMに行きたいのならば28番(他にもある)に乗れ」,との指令が駅の窓に張り出されていました.博物館行きのバスは30分おき程度に出ているようなので[22](こちらには拡大写真),まちます.

   
[20]まん前 [21]路線図 [22]時刻表

20分ほどすると28路線のバスがやってきました.では乗ります.バスに乗ったのは良いのですが,チケットはどうなるのか?と思いつつも,乗ったとたんにバスはいきなり動き出してしまいました.う〜ん?チケットは?と思っている間にバスは,2,3の停留所を通過し[23],周りの人[24]が,ほれココダ,といっています.ありがたいことに,観光客の人には周りの人が博物館の場所を教えてくれるようです.もう,あっという間だったので,押し出されるようにバスの外に出ると,バスはすたこらさっさと私たち観光客を置いて行ってしまいました.ここでおりた観光客の人は全員(10名程)無賃乗車のような気がします.よく分かりませんが,当時乗車していた観光客の人を代表して,「ごめんなさい.」,で,いざ,博物館へ.博物館への入り口はバス停の目の前にあります[25].

   
[23]車窓 [24]車内 [25]車外

博物館の入り口と思しきところ[26]から建物[27]の中へと入っていくと,その建物の中には色々な料金所があったのですが,みなガイドが云々と書いています.「?」と思っていると,どうやら,ガイドが要らない場合には入館無料とのことでした.は〜っ,これほど大きな博物館の入場料が無料とは・・・.とはいえ,ガイドはいらなくとも,あまりにも広いので(とにかく大きくて広い),少なくともガイドブックは必要で,一冊10zlでガイドブック(日本語版)[28]を購入しました.ガイドブックには,アウシュビッツ内の見学ルートやら,要所の解説が載っています.

   
[26]入っていくと [27]博物館見取り図 [28]ガイドブック

では,意を決して,見学です.まず,構内にはいると[29],目に入ってくるのが,実際に収容所として使用されていた際の入り口となっていたゲートです[30].(arbeit machat frei@yahoo)このゲートを一角として,高圧電流の流れた有刺鉄線に張りめぐられた2重の壁が建築されていました[31].

   
[29]ゲート位置 [30]ゲート [31]二重の壁

博物館内には,当時収容所として使用されたバラック[32-34]がそのまま保存されていて,そのバラック内に,数々の展示物が置かれています.まずは,ガイドブックに従って,各バラック内に入っていきます.

   
[32]バラック [33]バラックの説明 [34]バラック側面

バラック内の展示物としては,当時の収容者の生活を描いた絵や写真などが張られていますが,これらの絵や写真のほかに,収容者が使用していた「もの」が展示されています.「もの」としては,収容者が使用した食器や,義足,くつ,などがあるのです.これらは1つ1つはそれだけでもすごいとは思いますが,ここでは,それを特殊な方法で展示しています.つまり,ものすごい数の食器[35],ものすごい数の義足[36],ものすごい数の靴,そして,ものすごい数の子供用の靴[37].これらがバラックの一角に,まさに,山積みになっていました.そして,極め付けが髪の山.このページにはじかに張っていませんが,.もしご覧になる場合には,【ここ】をクリックしていただければ写真が出ますが,印象深い写真になっている点をご了承ください

   
[35]食器 [36]義足 [37]靴(子供用)

これらの展示物のバラックを過ぎると[38],今度は,死の壁[39].収容所の職員に難癖をつけられた収容者はここで射殺されました.死の壁には,まだ,実弾の穴があいてます.射殺される人は壁側に立ち,そのまま,頭を打ち抜かれたそうです.最期に見る風景が,前の人の頭を射抜いた弾痕[40].

   
[38]死の壁の位置 [39]死の壁 [40]最期に見た風景

このあたりで,かなり参ってしまったのですが,次が,牢.しかも,餓死牢[41],立ち牢[42](壁に囲われた1メートル四方の空間に4人がとじこめられ,3,4日,立ちっぱなしになる,想像しただけで気が遠くなる).しかも,これが,地下に作られている.地上に作られればいいというものではないですが,地下・・・.

 
[41]餓死牢 [42]立ち牢

そして,ガス室.ガス室は,敷地の奥にある半地下の建物の中にありました[43].建物には2つの部屋があり,1つがガス室[44].ガス室は薄暗く,コンクリートが打ちっぱなしになっていましたが,部屋の中央には蝋燭がともされていました.もう1つの部屋が2つの焼き場を持つ火葬部屋[45].1つの焼き場では同時に3〜4の遺体の処理が同時に行われたとのことです.【動画 2.4M

   
[43] [44] [45]

見学が終了したのが午後2時.もう,ふらふら.そして,なんと,こともあろうかよりによって,お腹がすいてしまったのです(私の想像力の貧困さを表しているものだと思われます).博物館に併設されている食堂で,ビーフシチューとポテトサラダ[46],お菓子パン[47]を食べました.さらに,アイス.お腹はすくは,頭の中は混乱するはで,支離滅裂の状態です.

 
[46]ビーフシチュー [47]パン


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